「志」の重要性
何故、「志」が必要なのでしょうか?
「もぅ、自分を知るために自分が宇宙って分かったから、良んじゃね?」
そう思われるかもしれませんが、
「禮」だけでは不十分なのです!
そう。
足りないのです!
「禮」は高なる存在であった自分にアクセスする方法であり、
「自分の宇宙」と「他者の宇宙」と「宇宙空間そのもの」を、
「清める」ための「禊」の具現化をする方法です。
では、「高なる存在であった自分」とは、物質化しやすい私達の世界で、
どのように認識すればよいのでしょうか?
具体化は必要なくても「認識」しなければ、フォーカスを定める事が出来ません。
何にでも繋がればよいのではなく、最高の創造主でもあり、
母なる宇宙の存在と繋がらなければならないのです。
そこで必要になってくるのが「志」です。
「志」とは、母なる宇宙から分かれる時に、
自身の自我を持って、母なる宇宙との交わした約束です。
「私は肉体を持ち、このような事を達成することで、
喜びを分かち合う最高の感謝を体感してきます。」と。
「禮」と「志」はセットです。
このセットを行うことで、肉体を持った私達は、
はじめて「感謝の体現」を具現化することができるのです。
何かちょっとヤヤコシイ話になったでしょうか?
でも、こんなことを「あーでもないこーでもない。」と、
考えていても、大した意味はありません。
今ここにいて、喜びを分かち合える存在がいて、自分という存在がいる。
私達の存在を許してくれる世界がある。
だったら最高に楽しんで最高に喜び合おうじゃないか。
そのために私達はやって来て出会ったのだから。
遠い母なる宇宙から分かれて自我を持ち、
この地球という空間を選び、この時空でともに存在し合う個々の宇宙。
私達が、こうやって出会えた事こそが、「有難い」のですから。

リッツ(安西律子)

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