武学の概要

武学とは、2,500年前には既に成立していた、原理原則であり、その性質上、皇帝や軍師などの国の最高統率者に極秘に伝えられ、進化発展してきた「帝王学としての概念と技術」のことです。

また、自他不敗の活学。

つまり、自分も負けない、相手も負けさせない、人生に活用する為の知行徳一の実践的学問のこと。

・・・と、お伝えしてもピンと来ない場合が多いと思いますので、かなり思い切りよく伝えてみたいと思います。

まず・・・

①最高統率者に基本的に一子相伝で伝えられてきました。
→「そんなん、みんな知ったら、みんな使っちゃうやんけ」という感じでしょうか?
ゆえに、表に出てくることはありません。

②「いかに人を統率するか?」を究極に考えたもの。
→どのようにすれば、人が従うか?について、心理などの側面から考察されています。
→最初は「従わない者は殺す」というところからスタートしましたが、「究極」を突き詰めていくうちに、人は殺すのではなく活かす、という真逆に行き着きました。
つまり「どのようにしたら平和にできるのか?」ということです。

究極の説明をしてしまうと、

武学の目的は「徳の体得」

です。

結果的に(?)「争わなければいいやんけ」となり、「争わないにはどうしたら?」となっています。

「うまい・安い・早い」の牛丼ではありませんが、武学にも3拍子があります。
3つが揃っていると、初めてバランス良い状態を保つことができるようになります。

心・意・体のバランス

3つのバランスとは

心・意・体

です。

一般的に言われる、「心・技・体」と意味はほぼ同じ、と思っていただいて大丈夫です。

心:「医術」=心身健康の維持向上:自分自身のコントロール
意(技):「兵術」=戦略(いかに戦わないか?):集団のコントロール
体:「体術」=戦術(具体的な戦闘のための術):相手のコントロール

となります。
「コントロール」という言葉を使っていますが、「一体化」の方がより近い言葉になります。

なぜバランスが必要なのか?ですが、

「徳なき心」は「ただの延命」であり、生きているだけの状態。
「徳なき意」は「殺戮」。
「徳なき体」は「暴力」。

どのように持ちえた力を使うのか?が最も大切なことになります。

無我

最終的に目指すところは・・・

「水になれ」

ブルース・リーが、老子の引用で使った印象的な言葉です。
『無我』の境地に至れば、無敵となります。

我が無いということは、勝ちたいという感情や欲求もなにも無くなり、戦うという概念もなくなり、敵は存在しなくなるのです。
ここまで体得できれば、敵は自分の中にいることがはっきりとわかるようになります。

最大の敵は自分自身。

『無我』を会得するには、自分の『軸』を創ることです。

自分の軸を創るとは、自分の原則を作ることであり、自分を定義すること。

「自分とは何か」が明確になることにより、自分の軸ができ、そこから様々な段階を経て無我のレベルに至るのです。

「自分とは何か」の明確化が

己を知る

ということになります。

「徳」とは何か?

武学の目的は「徳の体得」

と書いていますが、「徳」とは何でしょうか?
「徳」の話しをしようとすると、「何かとんでもない大きな・深い、自分には至らないレベルのもの」といった感覚になる方が多いと感じます。

人間にとって徳とは均整のとれた精神の在り方を指すものである。
これは天分、社会的経験や道徳的訓練によって獲得し、善き人間の特質となる。
徳を備えた人間は他の人間からの信頼や尊敬を獲得しながら、人間関係の構築や組織の運営を進めることができる。
徳は人間性を構成する多様な精神要素から成り立っており、気品、意志、温情、理性、忠誠、勇気、名誉、誠実、自信、謙虚、健康、楽天主義などが個々の徳目と位置付けることができる。

~ウィキペディアより引用

では、どのように「徳」が説明されているか?を見て行きましょう。

■儒教における徳
儒教的徳は人間の道徳的卓越性を表し、具体的には仁(人を思いやること)・義(利欲にとらわれず、なすべきことをすること)・礼(「仁」を具体的な行動として表したもの)・智(道理をよく知り得ていること)・信(友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること)の五徳や孝・悌(孝悌:親や兄姉といった年長者に対する崇敬)・忠(主君に対して裏表の無い態度)の実践として表される。
そして、徳は人間の道徳性から発展して統治原理とされ、治世者の優れた徳による教化によって秩序の安定がもたらされると考えられた。
前漢において儒教は「儒教」とは呼ばれず、もっぱら法家思想の法治や刑に対抗する意味で「徳教」と呼んでいた。
儒教思想において重要な規範的価値は、生まれによってではなくその人の徳の現れた実際の量の結果によって社会的地位が決せらるべきであるということである。

■キリスト教の徳
キリスト教において神学的徳は、コリント書13:13に由来する信仰、希望、愛 である。
これらは、神と人間への愛を完全にするという特殊な慣習的意味を持っている。
これら徳の調和とこれらへの思慮の相伴が主張され、キリスト教神学の特色をなす。

■西洋の中心的な徳目(四元徳(しげんとく))
・知慮・思慮・知恵
・勇気
・節制
・正義

■教育勅語での12の徳目
①父母ニ孝ニ (親に孝養を尽くしましょう)
②兄弟ニ友ニ (兄弟・姉妹は仲良くしましょう)
③夫婦相和シ (夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)
④朋友相信シ (友だちはお互いに信じ合いましょう)
⑤恭儉己レヲ持シ (自分の言動を慎みましょう)
⑥博愛衆ニ及ホシ (広く全ての人に慈愛の手を差し伸べましょう)
⑦學ヲ修メ業ヲ習ヒ (勉学に励み職業を身につけましょう)
⑧以テ智能ヲ啓發シ (知識を養い才能を伸ばしましょう)
⑨德器ヲ成就シ (人格の向上に努めましょう)
⑩進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ (広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう)
⑪常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ (法令を守り国の秩序に遵いましょう)
⑫一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ (国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の皇国を支えましょう)

今度は「徳」の文字からその意味を確認してみましょう。

徳の文字

つくりは、心が素直でまっすぐな様で、原字である「悳」を形成。
「彳」(ぎょうにんべん)をつけて、「まっすぐな心で行動するの意」を表わしたものです。

ここまで書いてきましたが、「徳」を定義すると、次のとおりです。

「私は一体何者なのだろうか?」
「なぜ私は存在し、何に貢献しようとしているのだろうか?」
「私はどこへ行こうとしているのだろうか?」
「相手を理解しようとし、相手の存在を観る」

己を知り、己の目的に沿って行動していること

スティーブン・R・コヴィー博士は、「ボイス」という表現をしています。

『第8の習慣』は、「自分のボイス(内面の声)を発見し、それぞれ自分のボイスを発見できるよう人を奮起させる習慣」です。
ボイスについて、コヴィー博士は、「個としてのかけがえのない意義の現れ」と語っています。
つまり、『周囲の人々ひとりひとりの異なるニーズを理解し、それに対して行う、その人にしか果たすことができない「意義ある貢献」』のことを、「ボイス」と言っているのです。

(1)自分自身で自らの行動を選択することによって、主体的な生き方をする
(2)宇宙の法則に従って生きる

上記が「徳」であり、「徳」とは、動詞で表現される行動ということになります。

抽象的、先天的だと思われてきた「徳」は体得することができます。
そうすれば、どんな悩みも、どんな問題も、自分自身で解決できるようになり、深く学べば学ぶほど、人間関係や、自身を取り巻く環境、ひいては、社会全体にも大きな影響を与えることができるようになるのです。

「己を知る」とは?

根の如く枝葉が育つ

根の如く枝葉が育つ

木はその根を大地にしっかりと根ざし、根を大きく拡げることで揺るがなくなります。
枝葉ばかりを大きくし、根を拡げることを怠ってしまうと、少しの風雨で木自体が倒れてしまいます。

この「根」の部分が「理念」「志」であり、「幹」が目標、枝葉が「行動計画」となります。
理念・志のしっかりとした土台を築き、その理念・志を目標化(見える化)し、行動を続けていくことで、果実である「成果」を手にすることができるようになります。

「なぜそれをするのか?」

いわゆる「Why?」の部分が最も大切であり、この「なぜ?」を忘れてしまうと「手段の目的化」が起こり、これを「砂上の楼閣」とも言います。

「人間学が本学、時務学は末学」

故 中條高徳(なかじょう たかのり)氏。
あまりの低迷に一時は「夕日ビール」とまで揶揄されたアサヒビールを「立志」で見事に立て直した名将です。
中條氏が生前におっしゃっていたこと・・・「子孫が根を張り繁ることで初めて先人が輝く」という言葉です。

「人間学が本学であり、時務学は末学。人間学を学んで初めて時務学が活かされる。」

とも語られています。

人間学とは、人格者への道つまり徳、末学とは合理的な生きる算段つまりテクニックです。

根を大切に育てる
根が枯れたら枝葉も枯れる

根は命を育む大地にしっかりと張ります。根・張る=粘る。
根がしっかりとしていれば、風雨にも耐えられ、大きな枝葉や果実を付けるようになります。

では根とは何でしょうか?

「私は一体何者なのだろうか?」
「なぜ私は存在し、何に貢献しようとしているのだろうか?」
「私はどこへ行こうとしているのだろうか?」
「相手を理解しようとし、相手の存在を観る」

これらが、孫子の兵法での

「彼を知り己を知れば、百戦して危うからず」

に繋がっていくのです。

まずは「己を知る」ことが重要です。

あなたはどうなりたいのですか?
どんなことに喜びを感じますか?
今していること(仕事・趣味など)は、何のためにしているのですか?

人生の質とは、自分に投げかける質問の質である

こうした質問が「己を知る」ことに繋がっていきます。

武学での学び

『武学』の『武』と『学』には、それぞれ意味があります。

『武』

は、「2つの矛を止める」という意味があります。

お互いが争わないようにする、ということであり、

「戦略」(戦いを略す)

という意味です。

「戦略のための学び」となりますが、では今度は「学び」とは何でしょうか?

「学び」(学問)には、4種類あります。

活学:知識を得て、実践する学び
実学:知識はないが、実践する学び
死学:知識はあるが、実践のない学び
虚学:知識も実践もない学び

このうちの「活学」が「武学での学び」になります。

「からだ」は「身体」と表記します。

身は意識、体は物質的な形、のことを指します。

「心身一如」という言葉がある通り、
肉体と精神は一体のもので、分けることができず、両面であるということです。
つまり、心を変えることにより体が変わり、体を変えることで心が変わる、ということになります。

知識は「身」
実践は「体」

「身体」のバランスは、知識と実践の両面によって初めて成り立つ、ということです。

まとめると、武学とは、

「戦略のための活学(知識を得て、実践する学び)」

です。

「戦略のための活学(知識を得て、実践する学び)」を体系立てて、バランスよく体得していくことが目的なのです。

今回は2分ほどですが、動画をシェアします。
私が語っておりますので、ぜひご参考にしていただければ幸いです。

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