自分や他人の生命・身体を守るための知識や技術、方法などを総じて「護身術」と言います。

この護身術ですが、究極は

「おかしいと感じた瞬間に体が勝手に動いている」

状態です。

つまり、「感覚によって、思考する前に動いている」ということであり、

潜在意識(感じる・察する力:身体に備わっている力や機能)を活用していることになります。

もっと平たく表現すれば、「本能で動く」ということになります。

さらに言い換えれば、「本能で動く」とは「生きようとして動く」ということになります。

思えば・・・まあ、私が男の子だった、ということもあると思いますが、
子供の頃には結構危険な遊びをしていました。

例えば、

高い木に登ってみたり(で、降りられなかったり)
橋の欄干の上を歩いてみたり(で、川に落ちたり)
川を渡ってみたり(で、深みにはまって溺れそうになったり)
探検という名目で道なき道を進んだり(で、迷って帰ることができなくなったり)
自転車で急な斜面を下りてみたり(で、転んで怪我したり)
大量の爆竹をくみ上げ式トイレの中で破裂させるとどうなるか?を試してみたり(で、・・・書けません(笑))

と言ったようなことをしていた経験があなたにもあると思うのですが、

大人が見ていると危なっかしくて仕方がないと思われるこうしたことも、

本能を鍛えるためのトレーニング

だったのではないか?と感じます。

死ぬ一歩手前までを経験してみることで(・・・あ、大量の爆竹をくみ上げ式トイレの中で破裂させるは命の危険性はありませんでしたが)「本能が本能を正常に働くようにさせる」ことをしていたのではないか?と感じるのです。

これを「危ないからしちゃいけない」と制限してしまうのは、もしかしたら大切なトレーニングの機会を奪っていることになるのではないだろうか?と感じるということです。

最近、都会を歩いていると、歩きスマホをしている人が多くなったりして、人ごみの中をぶつからずに歩くのが難しくなっていたりします。
塾だ、習い事だと人為的な何かで保護すると、結局、本能を鍛えることができずに、察する力が衰えることになっていくのではないでしょうか?

もっと歴史を見てみると、

日本の伝統文化はなぜ生まれたのか?
釘を一本も使わない法隆寺のような建築物はなぜ生まれたのか?

こうしたことも、自然を察する力から来ているのではないだろうか?と感じるのです。

本能を鍛えると、生きる力が強くなる

強いとは何か?は、最初の方で書いた「護身術」で少し表現されているように感じます。

「自分や他人の生命・身体を守るため」

このことを、危ないといわれる遊びを通じて、鍛えていたのではないのでしょうか?

「武」は「2つの矛を止める」意味ですが、
究極の「武」とは、「守るべきものを守る力」です。

守るべきものは自分だけではなく、他者も含まれます。
他者には、人だけではなく、自然や文化伝統、先人たちや未来の目に見えない何かも含まれます。

また、「志」と言った、自分軸も含まれます。

こうして考えると、「サムライ」という言葉が脳裏に浮かんできます。

「サムライ」については、また機会をあらためてお伝えすることにします。

・・・ここまで書いておいてですが、

危険な遊びをレノンリーが推奨していたからと言って、子供たちに無理矢理させないでくださいね。

私が怒られます。

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