形があるのかないのかに関わらず「何か」を把握したり、他の人と共有するためには、意味や価値が必要となり、これを「定義」と言います。

「木の中に黒い物体が入っていて文字が書けるもの」(※既にこの中にも定義が入っています)
これを共有するために「エンピツ」という定義付けを行います。
これにより「これはエンピツである」という共有をすることが可能となります。

目に見えるモノの場合には、ある程度揺るがない「定義」が可能です。
では「あなた」や「関わる人たち」はどうでしょうか?

「真面目」「行動的」・・・さらには「○○が得意」「○○が苦手」「○○が好き」「○○が嫌い」、そして「性格は○○」等々、意味や価値を見出そうとします。

「わたし」については、その「定義」が揺らがないように、意味や価値を他のものと関連付け(リンク付け)して、1つの物語を創り上げて行きます。

ここでは「コミュニケーション」を「キャッチボール」に例えて表現してみます。

(Aさん)
・コミュニケーション+剛速球=痛い
・コミュニケーション+受け取ってもらえない=孤独感
・コミュニケーション+違う色のボールが返ってきた=わかってもらえてない感

(Bさん)
・コミュニケーション+受け取りやすいボール=温かい
・コミュニケーション+いつも受け取ってもらえる=安心感

Aさんにとって「コミュニケーションとは痛くて孤独感があってわかってもらえないもの」と定義する可能性がありますが、Bさんは「コミュニケーションとは温かくて安心感のあるもの」と定義する可能性があります。

このようにして積み上げた意味と価値の集大成が

「人生」と呼ばれる「わたしの定義」

です。

では・・・

この「わたしの定義」は果たして真実

なのでしょうか?

Aさんが見るあなたと、Bさんが見るあなた、Cさんが見るあなたとは同じではないはずです。

とても苦手(嫌い)なタイプの相手がとても自分にとって魅力的な人とパートナーになっている場合もあります。
また、あなた自身が持つ「自己イメージ」(自分に対する自分のイメージ)も別なはずで、完全一致することはまずあり得ません。

このことから、重要なことを推測することができます。

定義(意味や価値)は「そのもの(対象)」に付随しているのではない
定義(意味や価値)は「それ(対象)をみている人」に付随している

もしも意味や価値が「そのもの」に付随しているのであれば、誰にとっても同じ意味や価値になりますので、誰かがあなたを好きであれば、全員好きでないとおかしいことになりますが、そのようなことはありません。

このことからも

「自分が見ている現実(と思い込んでいるコト・モノ)が、
他人にとって同じ現実であるとは限らない」

ということが言えます。

つまり、

ひとりひとり解釈が違う

ということです。

「体」は、自然からできています。
何かの部品を基に、人為的に組み上げたものでは(今のところ?)ありません。

体はウソをつかない

のです。

体に、感情や思考を持っていくと、ウソになります

ここでいう「ウソ」とは、決して真実ではないかもしれない、ひとりひとりの持つ解釈

という意味です。

こうした「解釈による間違い」を防ぐために、武学では、

思考・感情ではなく肉体にアプローチ

していくのです。

今回の動画は約1分40秒です。
「思考・感情ではなく肉体にアプローチ」の観点からお伝えしています。

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